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History
店名の由来
  Papa' ANTONIO(パパ・アントニオ)は、創業者ANTONIO CANCEMI(アントニオ・カンチエミ:1916-2003)の名前を冠しています。アントニオが四半世紀をささげたこの店には、その思いが今もなお息づいています。
  生前アントニオにはイタリア政府から3度の勲章(カバリエレ・ウフィチャーレ、カバリエレ・デッラレップブリカ、コメンダトーレ)が授与されました。イタリア料理を通じて、日本とイタリアの友好親善に大きく貢献したということからです。
料理との出会い -ムッソリーニ政権下で-
 アントニオはシチリアのマザーラ(愛・地球博でイタリアパビリオンの目玉であった『踊るサチュロス』像の美術館がある港町)で生まれました。青年となったアントニオは、地元の税務警察で働いていましたが、戦争が激しくなった影響で、軍へと徴兵されます。エチオピアに着任するも母国が恋しくなり、友人の勧めで軍の料理学校(ジェノバ近郊のラ・スペツィアという海軍港にあった、『サン・バルトロメオ国立料理学校』)に入学。両親に会うために帰国したかったアントニオは料理に興味も何もありませんでした。しかしその学校、単なる料理学校ではなく、将校たちのお抱え料理人を養成するための特訓学校だったのです。3カ月で30年分の料理の知識を付けなくてはならないほどの、厳しいものでした。当時、ホテルから引き抜いた将校のお抱え料理人(民間人)がスパイを働くという事件があり、急遽軍内で信頼できる料理人を養成することとなったためです。校長はムッソリーニの専属料理長でした。
ダンスホールではダンスを踊れ
 クラスメートはやはり志の高いものばかり。アントニオはもともと帰国して両親に会うために入学したので、料理に興味を持てずにいました。そんな時いつもアントニオをかわいがってくれていた叔父さんの「ダンスホールではダンスを踊れ」という言葉を思い出したのです。「そのときその場所で最良のことせよ」という意味です。一念発起したアントニオは、先生の言うことを100%吸収することに勤めました。
 ついに卒業というとき、アントニオはなんと300人以上いる生徒の中で主席になっていました。主席ということもあって、ムッソリーニの専属へと推挙されますが、これを固辞。その代わり、22歳にしてイタリア海軍最高司令官の専属料理長となりました。
その時料理経験はたった3カ月でした。
そして、日本へ
 その後海軍最高司令官とともに、同盟国である日本へ物資の輸送および情報収集のために行く事になります。極東イタリア海軍は神戸から南方の日本軍への物資輸送を2回も成功させたとして、新聞にも載ったそうです。そんな中、ムッソリーニ政権がパルチザンの手によって崩壊し、イタリア政権はアメリカ側につくことになり、日本にいたイタリア人は全員捕虜となりました。しかし、やがて自由の身となり、1944年神戸で日本初のイタリア料理店を開店します。物資の少ない時代で、しかも日本は戦時中だったので2ヵ月半で閉店。
 戦後、アントニオのうわさはアメリカ軍にも知られ、将校や官僚のためのオフィサーズクラブで料理をつくり、かのマッカーサー元帥の随行者として約20日間その料理の腕を振るうほどでした。
  やがて拠点を関東に移したアントニオは、1950年代初めごろ座間キャンプ近くに前身となる店をオープン。その後西麻布でイタリア料理「アントニオ」を開店。1978年齢62歳にして、現在の場所に「アントニオ代官山店(現「パパ・アントニオ」)」をオープンし、四半世紀の間、当店の厨房に立ち、自分の信ずるイタリア料理を日本のみなさまに提供してきました。
現在も、アントニオの精神と古きよきイタリアの味はここ代官山『パパアントニオ』に力強く生きています。
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